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昔の動画も見ていました。清荒神清清寺の編、大神神社(2編) 社会の構造が変革するに合わせるかのように信仰の世界の神々もお姿やお名前を変えていかれたことがよく理解できます。ここまでよく神社をめぐり、出雲口伝の証拠を集められたことに敬服いたします。
昨日夢を見ました😊縄文の服のようなものをまとった人達。優しく微笑まれ、私は夢心地。惹かれるんです。好きだなー。出雲の神様。故です。オタクです。いつもありがとうございます🌸動画沢山見ていただけて、嬉しいです😊
ヨコからスミマセン🙇こんにちは。素晴らしいお話しありがとうございます♪私もオタクです。特に見えない世界の話は大好きです😊ありがとうございます😊
役小角は大和出身だったんですね。高槻の神峯山寺も役小角が開いて、日本で初めて毘沙門天が安置されたお寺だそうで、2年前よく訪れました。不思議なご縁を感じます😊インスタの笠山荒神者を見た時数字の3が浮かんで、サイノカミ信仰と同じだわ…と思ってました✨️寺においては仏法曹で荒神さん、神社では幸の神なんでしょうか…いつも有難うございます。とても勉強になります🌿🥰
神社では、今も荒神ですね。見守ってくださってますね。いつもありがとうございます😊嬉しいです🌸
いつも動画有難うございます。毎回欠かさず見ています
嬉しいです。これからもどうぞよろしくお願いいたします😊
毎回の深いご考察恐れ入ります。三宝荒神様と蔵王権現様との関係はどのようにお考えでしょうか?ご教示いただきますと幸いです。これからも長く続けてくださいね。楽しみにしております。
こんにちは!あまり詳しくないですが、蔵王権現は一面二臂で、三宝荒神は三面六臂もしくは八面六臂ですね。蔵王権現は右手右足を上げ、判りやすいですね。三宝荒神は持物も様々なので、これといった決定的なものがなく、少し判りにくいですね。どちらも役行者が感得し、日本生まれなので、儀軌のようなものは無いですね。役行者は神国を意識して、二つのものに、出合われたのではないでしょうか。コメント、ありがとうございます😊嬉しいです🌸励みになります。
ありがとうございます。ご存じのように和多志もオタクでございます^^
いつも付き合って下さって、ありがとうございます😊
御詣り申し上げます
素敵な絵です。ありがとうございます😊嬉しいです🌸
富士山の麓にある神社(名前失念💦)にも三鳥居ありました。三鳥居=出雲系でしょうか。
そうかもしれませんね。😊
どうか日本を御守り下さい。
😊😊😊
つい最近⛩️大神神社に足を運んだばかりで、その道すがら三宝荒神の看板を見かけて、気になっておりました😅まさにシンクロ🤔⁉️🎉😂🎉次に大和の地に出かける際には、是非とも参拝します‼️👍😊素敵な動画をありがとうございましたm(_ _)m世界人類が平和でありますように
是非行かれてみてください。ありがとうございます😊嬉しいです🌸
@irisyell6626 荒神も以前から惹かれるところがあり、非常に参考になりました😊また役行者には昔から不思議と縁があり、なんとなく荒神とのエピソードも耳にしたことがあるような気がします☺️また勉強させてもらいます☺️ありがとうございましたm(_ _)m
宮城県名取市の増田神社は500年前当地にいた菊池一族が東北に移る時 一緒に分霊してできた神社です。菊池氏も近くで現存しています。明治前まで笠山荒神と言われていました。
それは知りませんでした。ありがとうございます😊
@@irisyell6626どういたしまして、楽しく拝聴しています。
@@からす-q9d さまありがとうございます😊
うわ!荒神!宮部みゆきの本にもあります。荒神!ほんのちょっと前まで神様も仏様も隔たりはありませんでした。荒神?善と悪ひとの営みに欠かせなかったルールを説きました。感謝を重んじました。綿々受け継がれる事こそ真実です。神様も仏様も同じ根本があります。明治になるまで境目はありませんでした。なのに…新嘗祭行きます。いいじゃないですか!橿原神宮の厳かな雰囲気に浸るのも昔いた会社の初詣は清荒神でした。いいですよ!清荒神さん。
宮部みゆき荒神、私も読みましたよ😊日本独自の神ですね。鉄斎美術館前にあの淡墨桜の接ぎ木が大きくなっています。清荒神さん、いいところですね。いつもありがとうございます😊嬉しいです🌸
@ 実は宮部みゆきのファンです。江戸時代の深川のお話大好きです。
@@きゅーぴーたろう様そうなんですね。良かったです😊
日本霊異記にも記載あるよね〜。筑摩から出てたやつかな。箱本持ってるわ。講義の時に持ち運ぶの重かったな。😅「おづの」と読まれるの違和感あり。正しくは「おづね」だからね。こう言うのなんとかならんのかな。ちょっとした言葉の違いは大きな誤解を生む要因となります。法律文とか言葉の違いで意味が大変わりするものとかあるし。機械読みは漢字の読みに偏りありますから、平仮名で読ました方がいいですね。たまたま読んだ新書館のある漫画で空海の話しがあって、そこで初めて空海の幼名が「真魚」って言うこと知ったな。かなり昔の話。
ありがとうございます。たくさんの人に観てもらいたいので分かりやすくしています。出雲伝承をもとに造っています。
【笠山荒神社】その昔、笠山鷲峯山に須佐之男命の神孫で竈の神である「奥津彦神・奥津比賣神」と大地の神「土祖神」を奉斎したとされる…明らかにサイノカミですね。【竈の神】とは、水💧と火🔥の統合を表します。奥津彦神 🔥奥津比売神 💧【土】とは➕️➖️ ☯️の重なりです。そこから生まれる新しい命【神仏習合】の霊地である笠山荒神社神☀仏🌙も☯️の重なりです。仏教の登場などにより、日本における信仰の新しいスタイルとしてアップデートをしたのが役小角であり、その後の修験道の祖となってゆきますが、その本質はサイノカミと同じであり、もっと遡れば、出雲族がやって来る以前から、日本列島に住んでいた縄文人の信仰とも同じものです。何故なら、日本各地に残る陰陽石や磐座、ストーンサークルや石神信仰などその本質はどれも同じだからです。文字を必要としない時代から、漢字が伝達の道具として使われる時代になり、重要なことを文字で残すようになります。そして、正史が編纂されます。サイノカミや三宝荒神は【造化三神】という宇宙創造のシステムとして古事記の冒頭から登場します。宇宙のことはりとはいつの時代も同じなのです。空海が唐に渡り、たった2年で恵果から全てを受け継いで真言密教を完成させることが出来たのは、唐に渡る以前に日本においてこのことはりを山岳の修行の中で既に習得していたからでしょう。人間の織りなす歴史の中で様々な現象が現れ、変遷してゆく中で、その時代ごとに様相を変えても、その本質は全く変わらず受け継がれてゆきます。その最たるものが大自然の営みであり、春夏秋冬、移りゆく景色はことはりによって彩られてゆきます。そこには🔥と💧という相反するものの重なりがあります。竈の神さまです。🍚
いつも素晴らしいコメントをありがとうございます😊日本には深い国です。目に見えることだけがすべてではないという事を、意識なしに感じながら皆暮らしていますね。いつもありがとうございます😊大変嬉しいです🌸
なるほど、お詳しいですねいつも気になっているのは山伏行者さんの修行の場の北九州英彦山や越後弥彦山は主祭神がアメノホアカリて事賽ノ神との関係が判らない大神神社が元は大物主でなくアメノホアカリ信仰だったこれは想像に難くないですが
@やふのすけ-z2q さまコメントありがとうございます♪英彦山のご祭神は【正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命】で出雲口伝を元に紐解けば、これはニギハヤヒ同様、数ある徐福を表す名のひとつです。わたし個人的には徐福は英彦山に葬られていると考えています。一方、弥彦山は【天火明命】で、こちらも徐福です。2つの【ヒコ山】は英彦山→🔥山幸彦系(物部)弥彦山→💧海幸彦系(海部)で、ともに祖の徐福をお祀りし、綺麗にペアになっています。天孫降臨が南九州であるのに、忍穂耳命を祀る神社は筑豊地区に集中しています。これは物部が最初に筑紫(吉野ケ里遺跡)に拠点を置き、その後、その子孫たちが南九州を周ってそちらで都万国(西都原古墳)という大きな集落を作って東征準備をし、大和へ向かって行ったという出雲の伝承と合致します。弥彦山の方は、第一次物部東征で追い出された【大彦(長髄彦)勢】が越を通り開拓して行ったために、磯城王朝の皇太子であった大彦の祖である天火明命をお祀りしていると思います。ご祭神は磯城王朝の海部尾張一族が勢揃いです。徐福の二人の御子五十猛(海幸彦)→海部(磯城王朝)彦火火出見(山幸彦)→物部「兄の子孫・磯城王朝💧を弟の子孫・物部勢🔥が東征をして倒す」ということを暗示しているのが【海幸山幸の神話】です。磯城王朝の初代大王は【天村雲】であり、【天火明命(徐福)】の孫です。💧の天孫です。🔥の天孫は彦火瓊瓊杵尊正史で両者は一緒に天降っています。【弥彦神社】のご祭神【天香山命】は【天火明命(徐福)】の御子であり、その御子が【天村雲命】です。(徐福の孫)弥彦神社には【天五田根命】としてしっかりお祀りされています。そして、【英彦山神宮】にも上宮にしっかり【天村雲命】がお祀りされています。これは2つのヒコ山が2つでひとつである☯️ことを意味します。天火明命は饒速日命であり、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命でもあります。全て徐福のことです。徐福が大国主八千矛王の娘【高照姫】を娶り五十猛が生まれ、その子・村雲は事代主の娘【タタラ五十鈴姫】を皇后とし、ヤマト政権が創設されます。徐福族(渡来系) 🔥出雲族(縄文系) 💧このウケヒによりヤマト政権が続いてゆくのです。徐福は道教の方士であり、陰陽☯️を重ねる祭祀はサイノカミと同じです。天孫族と言われる人たちだけがヤマト政権を作ったのではなく、むしろ出雲を始めとする縄文系の中に徐福族も重なっていったに過ぎません。修験道は遥かいにしえの縄文の信仰に出雲族・徐福族などがミルフィーユ状に重なり、全てを包んで受け継がれて来たものです。大物主神とはタタラ五十鈴姫の父・事代主と兄・クシヒカタのことであり、天村雲という徐福族🔥を受け容れた母体💧を作り、三輪山祭祀を継承していった賀茂族の祖です。🔥と💧の両方あって命が誕生し、再生してゆくので、その両方が常にお祀りされてゆくというシステムになります。修験もサイノカミも道教も本質は同じなのです。天火明命は大国主八千矛王の婿です。(^^)全部、繋がっています。
コメントありがとうございます😊嬉しいです🌸
昔の動画も見ていました。清荒神清清寺の編、大神神社(2編) 社会の構造が変革するに合わせるかのように信仰の世界の神々もお姿やお名前を変えていかれたことがよく理解できます。ここまでよく神社をめぐり、出雲口伝の証拠を集められたことに敬服いたします。
昨日夢を見ました😊
縄文の服のようなものをまとった人達。
優しく微笑まれ、私は夢心地。
惹かれるんです。
好きだなー。
出雲の神様。
故です。オタクです。
いつもありがとうございます🌸
動画沢山見ていただけて、嬉しいです😊
ヨコからスミマセン🙇
こんにちは。
素晴らしいお話しありがとうございます♪
私もオタクです。
特に見えない世界の話は大好きです😊
ありがとうございます😊
役小角は大和出身だったんですね。高槻の神峯山寺も役小角が開いて、日本で初めて毘沙門天が安置されたお寺だそうで、2年前よく訪れました。不思議なご縁を感じます😊
インスタの笠山荒神者を見た時数字の3が浮かんで、サイノカミ信仰と同じだわ…と思ってました✨️
寺においては仏法曹で荒神さん、神社では幸の神なんでしょうか…
いつも有難うございます。
とても勉強になります🌿🥰
神社では、今も荒神ですね。
見守ってくださってますね。
いつもありがとうございます😊嬉しいです🌸
いつも動画有難うございます。毎回欠かさず見ています
嬉しいです。これからもどうぞよろしくお願いいたします😊
毎回の深いご考察恐れ入ります。三宝荒神様と蔵王権現様との関係はどのようにお考えでしょうか?ご教示いただきますと幸いです。これからも長く続けてくださいね。楽しみにしております。
こんにちは!あまり詳しくないですが、
蔵王権現は一面二臂で、三宝荒神は三面六臂もしくは八面六臂ですね。
蔵王権現は右手右足を上げ、判りやすいですね。
三宝荒神は持物も様々なので、これといった決定的なものがなく、少し判りにくいですね。
どちらも役行者が感得し、日本生まれなので、儀軌のようなものは無いですね。
役行者は神国を意識して、二つのものに、出合われたのではないでしょうか。
コメント、ありがとうございます😊嬉しいです🌸
励みになります。
ありがとうございます。
ご存じのように和多志もオタクでございます^^
いつも付き合って下さって、ありがとうございます😊
御詣り申し上げます
素敵な絵です。
ありがとうございます😊嬉しいです🌸
富士山の麓にある神社(名前失念💦)にも三鳥居ありました。三鳥居=出雲系でしょうか。
そうかもしれませんね。😊
どうか日本を御守り下さい。
😊😊😊
つい最近⛩️大神神社に足を運んだばかりで、その道すがら三宝荒神の看板を見かけて、気になっておりました😅
まさにシンクロ🤔⁉️🎉😂🎉
次に大和の地に出かける際には、是非とも参拝します‼️👍😊
素敵な動画をありがとうございましたm(_ _)m
世界人類が平和でありますように
是非行かれてみてください。
ありがとうございます😊嬉しいです🌸
@irisyell6626
荒神も以前から惹かれるところがあり、非常に参考になりました😊
また役行者には昔から不思議と縁があり、なんとなく荒神とのエピソードも耳にしたことがあるような気がします☺️
また勉強させてもらいます☺️
ありがとうございましたm(_ _)m
宮城県名取市の増田神社は500年前当地にいた菊池一族が東北に移る時 一緒に分霊してできた神社です。菊池氏も近くで現存しています。明治前まで笠山荒神と言われていました。
それは知りませんでした。ありがとうございます😊
@@irisyell6626どういたしまして、楽しく拝聴しています。
@@からす-q9d さま
ありがとうございます😊
うわ!
荒神!
宮部みゆきの本にもあります。荒神!
ほんのちょっと前まで神様も仏様も隔たりはありませんでした。
荒神?
善と悪
ひとの営みに欠かせなかったルールを説きました。
感謝を重んじました。綿々受け継がれる事こそ真実です。
神様も仏様も同じ根本があります。
明治になるまで境目はありませんでした。
なのに…新嘗祭行きます。
いいじゃないですか!橿原神宮の厳かな雰囲気に浸るのも
昔いた会社の初詣は清荒神でした。いいですよ!清荒神さん。
宮部みゆき荒神、私も読みましたよ😊
日本独自の神ですね。
鉄斎美術館前にあの淡墨桜の接ぎ木が大きくなっています。
清荒神さん、いいところですね。
いつもありがとうございます😊嬉しいです🌸
@
実は宮部みゆきのファンです。江戸時代の深川のお話大好きです。
@@きゅーぴーたろう様
そうなんですね。
良かったです😊
日本霊異記にも記載あるよね〜。
筑摩から出てたやつかな。箱本持ってるわ。講義の時に持ち運ぶの重かったな。😅
「おづの」と読まれるの違和感あり。正しくは「おづね」だからね。
こう言うのなんとかならんのかな。ちょっとした言葉の違いは大きな誤解を生む要因となります。法律文とか言葉の違いで意味が大変わりするものとかあるし。機械読みは漢字の読みに偏りありますから、平仮名で読ました方がいいですね。
たまたま読んだ新書館のある漫画で空海の話しがあって、そこで初めて空海の幼名が「真魚」って言うこと知ったな。かなり昔の話。
ありがとうございます。
たくさんの人に観てもらいたいので分かりやすくしています。
出雲伝承をもとに造っています。
【笠山荒神社】
その昔、笠山鷲峯山に
須佐之男命の神孫で竈の神である
「奥津彦神・奥津比賣神」と
大地の神「土祖神」を奉斎したとされる…
明らかに
サイノカミですね。
【竈の神】とは、
水💧と火🔥の統合を表します。
奥津彦神 🔥
奥津比売神 💧
【土】とは
➕️➖️ ☯️の重なりです。
そこから生まれる
新しい命
【神仏習合】の霊地である
笠山荒神社
神☀
仏🌙
も☯️の重なりです。
仏教の登場などにより、
日本における信仰の
新しいスタイルとして
アップデートをしたのが
役小角であり、
その後の修験道の祖となってゆきますが、
その本質はサイノカミと同じであり、
もっと遡れば、
出雲族がやって来る以前から、
日本列島に住んでいた
縄文人の信仰とも同じものです。
何故なら、
日本各地に残る陰陽石や磐座、
ストーンサークルや
石神信仰など
その本質はどれも同じだからです。
文字を必要としない時代から、
漢字が伝達の道具として
使われる時代になり、
重要なことを文字で残すようになります。
そして、正史が編纂されます。
サイノカミや
三宝荒神は
【造化三神】という
宇宙創造のシステムとして
古事記の冒頭から登場します。
宇宙のことはりとは
いつの時代も同じなのです。
空海が唐に渡り、
たった2年で恵果から
全てを受け継いで
真言密教を完成させることが出来たのは、
唐に渡る以前に
日本において
このことはりを
山岳の修行の中で
既に習得していたからでしょう。
人間の織りなす歴史の中で
様々な現象が現れ、
変遷してゆく中で、
その時代ごとに
様相を変えても、
その本質は全く変わらず
受け継がれてゆきます。
その最たるものが
大自然の営みであり、
春夏秋冬、移りゆく景色は
ことはりによって
彩られてゆきます。
そこには
🔥と💧という
相反するものの重なりがあります。
竈の神さまです。🍚
いつも素晴らしいコメントをありがとうございます😊
日本には深い国です。
目に見えることだけがすべてではないという事を、意識なしに感じながら皆暮らしていますね。
いつもありがとうございます😊大変嬉しいです🌸
なるほど、お詳しいですね
いつも気になっているのは
山伏行者さんの修行の場の
北九州英彦山や越後弥彦山は
主祭神がアメノホアカリて事
賽ノ神との関係が判らない
大神神社が元は大物主でなく
アメノホアカリ信仰だった
これは想像に難くないですが
@やふのすけ-z2q さま
コメント
ありがとうございます♪
英彦山のご祭神は
【正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命】で
出雲口伝を元に紐解けば、
これはニギハヤヒ同様、
数ある徐福を表す名の
ひとつです。
わたし個人的には
徐福は英彦山に葬られていると
考えています。
一方、弥彦山は
【天火明命】で、
こちらも徐福です。
2つの【ヒコ山】は
英彦山→🔥山幸彦系(物部)
弥彦山→💧海幸彦系(海部)
で、ともに祖の徐福をお祀りし、
綺麗にペアになっています。
天孫降臨が南九州であるのに、
忍穂耳命を祀る神社は
筑豊地区に集中しています。
これは物部が最初に
筑紫(吉野ケ里遺跡)に拠点を置き、
その後、その子孫たちが
南九州を周って
そちらで都万国(西都原古墳)という
大きな集落を作って東征準備をし、
大和へ向かって行ったという
出雲の伝承と合致します。
弥彦山の方は、
第一次物部東征で追い出された
【大彦(長髄彦)勢】が
越を通り開拓して行ったために、
磯城王朝の皇太子であった大彦の
祖である天火明命を
お祀りしていると思います。
ご祭神は磯城王朝の
海部尾張一族が勢揃いです。
徐福の二人の御子
五十猛(海幸彦)→海部(磯城王朝)
彦火火出見(山幸彦)→物部
「兄の子孫・磯城王朝💧を
弟の子孫・物部勢🔥が
東征をして倒す」
ということを暗示しているのが
【海幸山幸の神話】です。
磯城王朝の初代大王は
【天村雲】であり、
【天火明命(徐福)】の孫です。
💧の天孫です。
🔥の天孫は
彦火瓊瓊杵尊
正史で両者は
一緒に天降っています。
【弥彦神社】のご祭神
【天香山命】は
【天火明命(徐福)】の御子であり、
その御子が【天村雲命】です。
(徐福の孫)
弥彦神社には
【天五田根命】として
しっかりお祀りされています。
そして、
【英彦山神宮】にも
上宮にしっかり
【天村雲命】がお祀りされています。
これは2つのヒコ山が
2つでひとつである☯️ことを
意味します。
天火明命は
饒速日命であり、
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命
でもあります。
全て徐福のことです。
徐福が
大国主八千矛王の娘【高照姫】を娶り
五十猛が生まれ、
その子・村雲は
事代主の娘【タタラ五十鈴姫】を
皇后とし、
ヤマト政権が創設されます。
徐福族(渡来系) 🔥
出雲族(縄文系) 💧
このウケヒにより
ヤマト政権が続いてゆくのです。
徐福は道教の方士であり、
陰陽☯️を重ねる祭祀は
サイノカミと同じです。
天孫族と言われる人たちだけが
ヤマト政権を作ったのではなく、
むしろ出雲を始めとする
縄文系の中に
徐福族も重なっていったに過ぎません。
修験道は
遥かいにしえの縄文の信仰に
出雲族・徐福族などが
ミルフィーユ状に重なり、
全てを包んで受け継がれて来たものです。
大物主神とは
タタラ五十鈴姫の父・事代主と
兄・クシヒカタのことであり、
天村雲という徐福族🔥を
受け容れた母体💧を作り、
三輪山祭祀を継承していった
賀茂族の祖です。
🔥と💧の両方あって
命が誕生し、
再生してゆくので、
その両方が常にお祀りされてゆく
というシステムになります。
修験もサイノカミも道教も
本質は同じなのです。
天火明命は
大国主八千矛王の婿です。(^^)
全部、繋がっています。
どうか日本を御守り下さい。
コメントありがとうございます😊嬉しいです🌸